ゆっくり村ブログ

中原弘子さんに聞く

7月 23rd, 2008

「赤村地元学」というテーマで、赤村の人々や歴史、文化を少しずつ発信していきます。
地元に学ぶことはとってもたくさんありますね。

第一弾は、お世話になっている中原弘子さん。

中原弘子さん (2008年4月7日インタビュー)
特産物センター会長

好きな食べ物:焼き魚 イワシが好き
好きな音楽・曲:18番は「北の居酒屋」
座右の銘:「頼まれたら嫌とは言わない」(巡りめぐって自分に返ってくる。自分のためにもなるから)。

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特産物センターの会長で、赤村の顔でもある中原さん。インタビューにも快く応じてくれました。

中原さんは昭和6年生まれ。77歳。北九州門司の生まれ。
父親の実家が赤村で、終戦の年に赤村に戻ってきたという。
「玉音放送を家で聴いた覚えがあるね。その頃は女学校の2年だった。近所のモンも集まって、終戦の知らせを聞いた」と。
中原さんは教員として33年働いたという。
「赤に戻ってから女学校に3年通い、昭和25年に教師になった。最初は川崎小学校、最後の20年間は勾金中学校だったよ。音楽の教師をしていてね、私はピアノが好きだったよ。」

――何故教師になろうと思ったんですか?

「私の家系はね、教師の家系なんよ。母は私に医者になったら良いと言ってくれていたけれども、家が貧乏だったからね。東京に出て医者の学校に行くなんて出来なかった。安定した生活を送るなら公務員が言いなんて話もあってね。それで教師になったのね。だから好きでしょうがなくて音楽の教師になったんじゃないんだよ。でも、音楽は好きだったね。門司の育った家の近所にお金持ちがいてね。家にピアノがあったんよ。私はしょっちゅうピアノのところに遊びに行ったさ。」

――なるほど。好きでなったわけじゃないんですねぇ。じゃあ、その時に自分がなりたかった職業って何ですか?

「ワタシャね、医者になりたかった。その当時「女医の記録」という本があったんだけど、そんな本を一生けんめい読んだよ。それで、医者になりたいと思っていたね。これも母の影響が大きいかもね。私の母は「人の役に立つこと」「人助けをすること」そんなことばっかししてきた人だったからね。ワタシャね、母の影響はとても大きく受けているのよ。部落差別や貧しい人への差別も絶対に許さない人だったね。」

――今、中原さんが携わっている食の分野へはいつから入ったのですか?

「教職を辞めたのが53歳の時でね。人間関係で苦労したり、身体が弱くなっていたりしてね。その時に母が「今までは組織の中で働いてきたのだから、今度は地域に入っていきなさい。地域の役職なんかも積極的にやりなさい」って言ってくれたんよ。そんなこともあって、辞めてすぐに婦人会に入ってね。農協女性部の担当になったんよ。その流れで県の役員になってね。「女性も農協の理事や総代になろう」という女性の地位向上運動にも関わった。」

――女性部に入って、食の分野で活動し始めたんですか?それとも教師をしていた時から食への関心はあったのですか?

「食への関心の原点はねぇ、やっぱり母なんよ。母は身体が弱くてね。でも、断食をして身体を良くしていったような人だった。その当時は珍しい高圧鍋ってやつで玄米を炊いてね。肉より魚、大豆をたくさん取る、塩っけの強いものは避けるという食生活だった。魚なんかも高圧鍋で炊いてさ、骨まで食べてたよ。徹底した玄米食。私もそれが好きだったね。
それにね、農協女性部に入ったら否が応でも食に関わるんよ。その活動の中でいろいろな人に会ってね。それこそ眼からウロコが落ちるような経験もたくさんしたね。女性部の活動で思ったのは「3人いれば何かできるね」ということ。実際、「はづき会」というグループで活動をしたり、そこから派生してモチの加工部を作ったりいろいろしたねぇ。」

――特産物センターが出来るのもその頃ですか?

「そうそう。DoYou農?のイベントの時に「朝市の会」というグループで田植え、稲刈りのイベントの時だけ野菜を売っていたんよ。そしたら、結構売れるがぁ。
店が欲しいねぇ、なんて話をしていて、働きかけてそれが現実になったんよ。でもね、当時は「そんなことして売れるわけなかろう」なんてことも言われたよ。直売所を立ててくれた関係者は「半年持たないかと思った」何て後で言ってたよ。ハッハッハァ。
でも、売れてね。手狭になって今の大きい特産物センターになったわけ。もう13年ぐらいになりゃせんやろか。
今はとっても良い状態よ。餅や惣菜の部門が売り上げを引っ張っているんよ。たくさん直売所が出来始めている中で、とても貢献していると思うよ。」

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――直売所があって、地域の人の働き場や出会いの場があるというのは良いことですよね。

「そうそう、最初の目的はそこにあったんよ。やっぱり、村から外へ出て行く人が多いがぁ。それを食い止めたい、他所に人材を出すことはない、地域に残って働けたら良い。そんな仕組みを作りたかったんよ。まあ、外に出た方が稼ぎは良いがね。もちろん、カネは稼がんといかんけどね、ここに来てる人たちは金以上のものを求めているんよ。半分はボランティア精神みたいなもんよね。でも、仲間がいてたのしく働ける。人に感謝される。地域で働ける。これはすごいことよ〜。
ワタシャね、ここの職場は日本一だと思ってるんよ。働く人はお金ばっかりを要求しないでしょ。でも、仕事は完璧!モチの練り方なんて「機械がやってるみたいだ」って言ってもらうぐらいよ。それに忙しい時には自分たちで考えて朝2時からでも出てくるでしょ。「口も達者、手も達者」。本当に日本一だと思いよるよ。
ワタシャ、そんな中に居れてとっても幸せだと思いよるね。娘からもね、「母さんの周囲には良い人ばかりいるね」って言ってもらってる。ほんと幸せ。」

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――今もとても良い状態だと思うのですが、今後展開したいことってありますか?今後の夢ってありますか?

「この特産物センターの周囲の田んぼを使わせてもらってね、ハウスを建てて周年で軟弱野菜を地域の老人が作るなんてのが良いと思うんよね。街の人が畑をお金を払って借りてさ。地域のじいちゃんばあちゃんが野菜の作り方を教えるんよ。街の人がセンターに来てから自分で収穫して、その野菜を買っていったって良いじゃないね。ワタシャが村長になったら、そんなことしたいねぇ。もうちょっと若けりゃねぇ。ハッハッハ〜。」

――地域の人が活躍できる直売所、良いですよね。中原さんから赤村の人にメッセージありますか?

「そうね、村に生まれてきたことに誇りを持ってね「赤村に生まれてきて良かったぁ」って思って欲しいし、自分たちの子や孫にそう思ってもらえる地域つくりをして欲しいね。
赤村が良くなれば、田川も良くなる、田川が良くなれば、福岡も良くなる、日本も良くなるんよ。今の時代地球を守るってことを考えても、自分の住んでる地域を良くせんとね。」

――赤村が良くなれば、日本や地球も良くなるって素敵ですね。

「そうよ。それがホントよ。例えば、赤村は竹屋根が多いでしょ。竹林。あれをちゃんと整備して、タケノコを取って、竹細工をして売ったらいいと思うんだがねぇ。そしたら、赤村も大分よくなる、日本も良くなるよ。ホント。」

――他所の人たちへのメッセージはありますか?

「そうね、やっぱり一回赤村にきちょくれってことよね。今、特産の加工をやっているおばちゃんたちが方々で赤村の宣伝をしよるがぁ。そんなのに触れてどんなところだろうなぁ、って思ったら来てみて欲しいね。

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それとね、そうやって来た人を村の人が温かく迎え入れて欲しいね。「どこからおいでですか?」とかさ、気軽に声を掛けるような関係。それが良いじゃない。ねぇ。」

【求人】赤村スローカフェ・クリキンディ キッチンメインスタッフ

12月 2nd, 2007

ゆっくり村のご近所赤村スローカフェ・クリキンディ にて、キッチンスタッフを募集しています。
自然食やマクロビに興味のある方など、いかがでしょうか?
☆☆★★☆☆★★☆☆★★☆☆★★
赤村スローカフェ・クリキンディ
キッチン担当メインスタッフ募集♪
★★☆☆★★☆☆★★☆☆★★☆☆

赤村スローカフェ・クリキンディにて将来的にカフェ仕事を
ライフワークにしたいキッチンメインスタッフを募集します。

クリキンディでは、無農薬米・野菜、
昔ながらの製法で作られたこだわり調味料など、
身体と心がよろこぶ厳選素材を使った食事やスイーツを提供しています。
自然食やマクロビオティックなどに興味のある方を歓迎します。

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◆カフェ・コンセプト◆
赤村スローカフェ・クリキンディは
地域に根ざした“ハッピースローカルチャーカフェ”を目指します。
そこに集う人々が、「人」「物」「食」「文化」を通して
共に気づき、学び、成長し、つながる空間を創造します。

「ハッピースローカルチャー」には、
ハッピー、ピース、スロー、ローカル、カルチャーという
5つの大切な言葉と「遊び、たのしさ、ユーモア」が込められています。

ハッピーは、モノやおカネよりもココロの充足。
ピースは、助け合いや分かち合いが育てる「ココロと社会の平和」。
スローは、自然や人とのつながり。そして、調和。
ローカルは、地域に根ざし足元の豊かさを掘り起こすこと。
カルチャーは、プロセスを愉しみながら自分たちで創り出していくこと。

豊かな赤村の自然、
スローで多彩な人とのつながり、
食べることや生きることをじっくり考えるさまざまな時間、
そんな中で、一緒にハッピースローカルチャーカフェを
創っていく仲間を募集します。

◆仕事内容◆
キッチンメインスタッフ
自然食ランチ&ナチュラルスイーツの調理
クリキンディ運営全般(含む経理・イベント企画運営・事務仕事・情報発信etc)

主な仕事はキッチン担当ですが、
クリキンディというカフェを一緒に創っていく人を募集します。
イベントの企画運営や店の運営などにも積極的に関わっていただきます。
カフェ仕事をライフワークにしたい方を募集します。

◆条件◆
年齢・性別不問
キッチン経験者優遇
料理が好きで接客も好きな方を歓迎します。
長期的にカフェでの仕事をライフワークにしたいと考えている意欲のある方を募
集します。

◆勤務時間・形態◆
基本9:00〜18:00 休憩あり
基本週休2日(木曜定休)季節や繁忙期によって変更あり。

◆勤務地◆
福岡県田川郡赤村源じいの森温泉内スローカフェ・クリキンディ
http://www.windfarm.co.jp/potori/

1月より試用勤務開始(予定)

◆住居◆
カフェから車で5分のところに、スタッフが利用できる寮があります。
遠方の方でも移住を前提に受け入れが可能です。
もちろん、通い勤務でもOKです。

◆給与・待遇◆
詳細は面談にて
社保あり

◆応募方法◆
以下を郵送してください。
1)履歴書(写真付き)
2)志望動機書

志望動機書には「私にとってのカフェ仕事」
「どんな料理をお客さんに提供したいか」
「食への想い」といったことも盛り込んでください。
書類選考の後、該当者に面接日時をお知らせします。
面接は12月18日以降を予定しています。

あて先
〒824-0431 福岡県田川郡赤村大字赤5251-3
源じいの森温泉内
赤村スローカフェ・クリキンディ
スタッフ募集係り

◆締め切り◆
12月17日(月)締め切り(必着)

◆問い合わせ先◆
電話・FAX 0947-88-2893
e-mail: akamura_slow_vpjct(a)yahoo.co.jp
(a)は@に変更してください。

◆補足◆
クリキンディはフェアトレードコーヒー会社ウインドファームの直営店です。
また、カフェは「ゆっくり村」という半農半Xを目指す多様な人々が緩やかなつ
ながりの中で、少しのお金で豊かに生きるコミュニティを目指す
プロジェクトの一部でもあります。

ウインドファーム
http://www.windfarm.co.jp/

ラクガンつくり

8月 7th, 2007

この季節になると、直売所の加工部は夕方も仕事をしている。
お盆用のラクガン作りが最盛期なのだ。

去年もちょこっと手伝った。
今年も、ちょこっと手伝っている。

赤村のラクガンは米の粉と小麦粉と砂糖と混ぜて作る。
色はできるだけ天然の色素。赤は梅酢も使っているという。
今時、ほぼ全て手作業で作るところなんてないんじゃないかなぁ?

昔ながらの型に「グッグッグ」と材料を押し込んでいく。
これが、結構な力仕事。しっかり押し込まないともろくなってしまい売り物にならない。

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僕はこの型が何だか味を感じて好きなんです。
本当に昔ながらの型で、サクラ、菊、竹、牡丹などなどいろいろある。

それぞれの型にそれぞれの歴史が刻まれている重厚感があって、いいんです。

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お盆に向けてサクサクと作り、直売所で販売する。
「作っただけ売れるよ。作る方が間に合わないぐらいバイ」と。

セミの声と、今年のお盆が近づいてくる。

動画配信!

6月 21st, 2007

ゆっくり村の住人あきらごとうが出ている動画がなんとヨソのHPにありました。
赤村 特別栽培米研究会主催 源じいの森新酒蔵出し発表会の様子を映像に撮ったものです。
そう言えば、去年も今年も、何故かデジタルビデオカメラを構えた方が来場していて、僕にインタビューしていたんですわ。
こないだ、ちょろっとビデオカメラを構えていた本人にお会いしたら、「ヴァ、そうそう、後藤君の映像、HPでアップしちょるけん」と。
ショーゾーケンなんてものは、気にしない僕は、「おおっ!ブログからリンクはっときますよ!」というお人よし。

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赤村って、どんなところ?
あきらごとうってどんな人?
という、世界的関心(?)にお応えする内容になっています。
一年前と比べると、ちょっと余裕を持って話をしている(単に、酒が去年の倍入っているだけか?)あきらごとうが垣間見れます。

コチラをご覧あれ。
2007赤村レポート スローライフを求めて

録音制作コムシップさんによる配信です。

森を守り育てるキノコ

2月 25th, 2007

赤村に数軒あるキノコ農家のひとつ、小林慧さんのところを訪れた。
小林さんとは「赤村の地域と農業を考える会」という集まりでよく顔を合わせる。
「一度、キノコの現場を見に来たら良い」と言ってくれていたので、同僚らと計3人で訪問することに。

前の仕事の関係でキノコ農家にはソコソコ会って来たつもりだった。
が、今回の訪問と出会いはキノコに対する認識を大きく変えるものになった。
キノコを育てることは、山とつながっていて、キノコを媒体にして森や森が維持されているのだ。

シイタケの菌を打ち込む原木と呼ばれる直径10センチ程度縲怩フ丸太があるのだがそれらは山があり、木々を植えて育ててきた歴史の上に成り立っている。

「あの辺の椚(くぬぎ)は後8年もすれば切り出せるね」と。
伐採した木から新芽が出て、また原木に育っていく。

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小林さんが原木を育てている山
手前は新芽が伸びてきた椚、奥の背の高いのはそろそろ切り時の椚。

その自然のサイクルの中でキノコ栽培がなされている。
大体、11月に原木を切り出し、1年以上置いておき、2月頃にキノコの菌を打ち込む。
菌糸が原木全体に回るまでさらに1年半ぐらい掛かる。
それからは、時期になればキノコが生えてきてくれる。
ホダ木(殖菌した原木)の寿命はだいたい3~4年ほどだという。

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     切り出された原木は1年以上寝かせる。

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    寝かせた後に、シイタケ菌を打ち込む。
    菌糸がジワリジワリと木の中で繁殖する。
    その菌から出てきたシイタケを美味しくいただく。

「ま縲鰀3年なんてあっと言う間だよ」と小林さん。
「そうそう、5年ぐらいかけて、自分で家を建てたらどうだ?材木はオレのところの山の木を使って良いぞ」と。

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シイタケは日陰を好む。
中心にあるのは落葉樹、外側にあるのは針葉樹。
これで、自然と日陰が作られることになるデザイン空間。

山や森、そしてキノコと付き合っている人の時間感覚というのは多分こんな感じなんだろうなぁ。小林さんはしっかりと自然と向き合いながら、そのペースに歩調を合わせて仕事をしている人だ。

「原木栽培」と銘打っているキノコは時々見かけるが、山の手入れ、森の手入れとつながっているとは知らなかった。原木栽培も場合によっては、原木を仕入れてきて、殖菌するらしい。小林さんのように自分から原木を用意するスタイルは昔は当然だったのだろうが、今では徐々に担い手がいなくなってきている。

山を見ながら、「キノコを育てることで森や山に人の手が入り、自然が維持されるんですよ。キノコを食べることで、山や森が守り育っていく。そんなことを想像しながら食べて欲しいなぁ」と。

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熱心にキノコの解説をしてくれる小林さん。

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赤村で直売所で他の人のキノコは1パック大体130円程度。小林さんのキノコは200円ぐらい。
そこに、森や山を維持している誇りと付加価値がある気がする。

作業手伝いも兼ねて伺ったのだが、いろいろ案内してくれて話も聞かせてもらった。
時間ばかり取ってしまってと恐縮していたが、「イヤイヤ良い交流が出来ましたよ。また、来て下さい。焼酎も飲もうや。ガッハッハ縲怐vと言ってくれる。

農村丸ごと博物館計画の第二弾として3月半ば頃に「森を守り育てるキノコ体感WS」でも企画しようかと思っている。
興味のある人は、一緒に山に入りましょう。

地元に学ぶ地元学 報告

10月 22nd, 2006

夏に東京に出た時に、仲間と話していて地元学を実施することが決まった。
僕は、以前の仕事で方々の農山村で地元学的なことをやっていたが、赤村に定住するとなると身動きが逆に取り辛く、なかなか思い切ったことができていなかった。
が、その友人と話をしていて「地元学をやってみても良いんじゃないの?集落を歩きながら、そこの良いものを探していく。それほど難しくないよ」「良いですね、やりましょうか」ってな感じでソコソコ軽いノリから企画がスタート。
僕が選んだ集落は赤村ほたるの会でもお世話になっている三浦さんが住む「後山(うしろやま)」というどん詰まりの集落。地域で炭焼きをやったりと元気が良い集落だ。人とのつながりも多少あるので、後山に決めた。
事前の打ち合わせに行くと企画をしている日が集落総出の草刈の日だという。「地元の旬の食材を利用したお昼ご飯を作って欲しい」と話をするも「ちょっと難しい」という反応だった。が、話をしているうちに「そういやぁ、ちょうどイノシシがあるね。ムカゴご飯とシシ鍋ぐらいなら作れるよ」ということになった。あくまでも簡単で良いですよ、あまり「おもてなし料理」ではなく「普段の料理で良いですよ」とお願いすることに。
当日はスロービジネススクールの学生が僕を含めて6名参加した。東京からファシリテーターを含め2名、北九州、博多、星野村など方々から集まってくれた。

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村のかーちゃんたちの指導を受けながらオニギリ作り。

「普段の食」と言いつつも、かなり豪勢な食事が集会場を埋める。「今の時期はわりぃよ。春先なら山菜やらいろいろあるのに」と言いつつも、栗ご飯、芋茎(ズイキ)の煮物、シシ鍋、シシの肝(レバー)、芋まんじゅうと高菜まんじゅう、カボチャコロッケ、ミョウガ・キュウリ・ラッキョウ・穂ジソのサラダなどを振舞ってくれた。

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豪華な食事

3日前からなんやかんやと準備をしてくれたという。「後山は長年こういった交流事業をやっていたからね、慣れちょるんよ。でも、4年ぶりぐらいかね、久々で愉しかね」何て言っくれる。こりゃ、申し訳ないなぁ、と思うぐらいのご馳走。そして、それらがイチイチ美味しい。参加者は相当たくさん食べました。
食事の後は、集落を実際に歩くことに。集会場ではちょっと緊張していたのか、あるいは面倒くさそうな様子だった集落のじいちゃん達は歩き始めるとガゼン元気になり饒舌になる。

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岩盤からしみ出てくる「後山観音水」があること(飲むには適さない)。昔集落が共有していた「神田(かみだ)」という田んぼがあったこと。その田には今は、ユズが植わっていること。昔は冬の仕事と言えば炭焼きと縄ないだったため、山の方には古い炭窯がいくつもあること。雑木が丁寧に活用されていたこと。「おこもり」という行事がしょっちゅうあり、それに合わせて酒やご馳走を愉しんでいたこと。コウカの木(ネムの木)の花が咲いている間に小豆を蒔くのが良いこと。イノシシがだいぶ田畑を荒らすようになってきたこと。シイタケ原木にしたいクヌギの木に都会から来たものが傷をつけてカブトムシを呼び寄せようとすること。後山にある大きな岩は昔半分に割れて、その岩で石垣を作ったところもあること。昔に比べれば相当の面積の田んぼが放棄されていること、などなど。
ぐるっと集落を回っただけで、いろいろなことが聞けた。
 
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集会場に戻り、先ほど歩きながら撮った写真を見ながら振り返る。これがナカナカ好評で「よく撮れちょるねぇ」「ほ縲怐Aこうして見ると後山も大したもんやね」なんて感想が出ていた。
やはり、現場を歩くということの威力は大きい。土の人(地元の人)と風の人(他所からの人)とが一緒に歩くことで普段見えていないものが見えてきたり、違ったふうに見えてきたり。参加者はたくさんのお土産をもらって帰ることになった。
赤村地元学じっくり丁寧に時間をかけて継続していきたい。

赤村地元学ことはじめ

9月 21st, 2006

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赤村地元学
「あるもの探し」第一弾 後山集落

 

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「この村は何にもねぇよ」何てセリフは良く聞くけれど、丁寧に農山村の集落を
見ていくと「食・農・健康・文化・人間性」などさまざまな「宝物」が「当たり
前」のものとしてある。映画「タイマグラばあちゃん」で主人公のばあちゃんは
山奥で「極楽だぁ」とつぶやく。
そんな農山村の魅力を外からの来訪者=「風の人」と地元の生活者=「土の人」
が一緒になって掘り起こす、地元学を赤村でスタートさせます。
第一回目は後山集落で行います。
集落の人に企画を提案したら「じゃあ、シシ鍋とムカゴご飯ぐらいは作ってみよ
うかね。余裕があれば、ユズごしょう作りの講習もしちゃるばい!」と乗り気で
す。東京からファシリテーターとして佐野淳也さんも参加されます。
美味しく、愉しく、発見の連続になること間違いなし!
食事の準備の都合で、少人数での企画となります。ご興味のある方は、お早めに
参加表明をしてください。

日時:10月1日(日)
集合場所:11:30 赤村スローカフェクリキンディ前(源じいの森温泉内)
参加費:一般1500円 SBS学生1000円
募集人数:5名(定員になり次第締め切ります)
持ち物:マイ箸、マイカップ、デジカメ、メモを取るノート、筆記用具、愉しむ
気持ち
スケジュール
12:00 自己紹介(30分) 地元の食事をとりながら
12:30 地元学WSについての説明(30分)
13:00 集落内まち歩き(60分)
14:00 まち歩き結果について全体で共有(30分)
14:30 発見した地域資源を活かした地域づくりについて話し合い(60分)
15:30 発表・まとめ(30分)
16:00 終了(予定)

講師・佐野 淳也(東京学芸大学 環境学習推進 専門研究員)

cf: 足元の、当たり前の豊かさに気づく「地元学」
http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2001/200104.htm

主催:スロービジネススクール ゆっくり村運営部
cf:

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以上

戸城山から眺めたら

7月 15th, 2006

「今から戸城に登るけど、一緒に来る?忙しいから無理かね?」と電話の向こうで加来さん。ちょうど黒豆を蒔き終える頃だったので、中原さん、加来さんと一緒に行くことに。 
午後6時半ごろから、赤村を一望できると聞いていた戸城山をプチトレッキング。 
74歳のばーちゃんがチャキチャキ登っていくから驚きだ。 

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分ぐらいかけて頂上に行くと、久々に視界がひらける。赤村に住んでいると四六時中山に囲まれている印象がある。時にちょっとした圧迫感を感じる。 

頂上から見る景色はそんな日々僕を囲んでいる山をちょっと違う角度から見せてくれる。 
「晴れてればもっとキレイだよ」と言われたが、青空、雲、夕日が絡まりあって久々に心踊る風景だった。山の向こうに雲海が広がっていく光景があったり、空の色は刻々と変化していったり。内心「晴れてなくて、ちょっとぐらい雲があった方がキレイだな」と思っていた。 

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「いやぁ、上からものを見るってのは気分が良いもんだねぇ。お城を高いところに作る人の気持ちが分かるよ」なんて中原さん。 

違ったところからものを見る、角度を変えてものを見る、視点を変えてものを見る、違った自分がものを見る。 
赤村へ来て時間のある人を案内するのに、良い場所発見! 

しかし、帰り道は暗くなってから山道を下ることになり、74歳のば縲怩ウんが上から落ちてきやしないか冷や冷やしながらの下山となりました。下山したら20時だったものね。 

 

 

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